元転勤妻の2児の母、テレワークしながらIgA腎症とつきあう日々の記録

「とわいえ」な日々

テレワークしながらIgA腎症とつきあう日々の記録

【志布志しぶしぶ通信】vol.14 迷ったときは原点に返る

4月24日が「し・ぶ・し」の日だと知って失笑した日は遠いような、近いような。志布志市民となって1年が経ちました。志布志市の一丁目一番地的ポジションを獲得する優越感を得るため「志布志市志布志志布志」に在住を決めた、頭ネジゆるい主婦が、記念すべき第14回目をお送りします。1カ月に1号しか出してない計算でごわす。

色々もまれた10年の東京生活を経て、タウン誌時代の原点に立ち返ろうと考えた昨年秋。取材、執筆、校正という作業が懐かしく愛おしい、不思議な感覚を持ちながら、夢中で仕事していくと、気付けば冬には入院寸前にまで体調が変化しました。取材を通じて「志布志」や大隅半島(鹿児島の陸の孤島とか呼ばれてるそう)で出会う人々から、たくさんのパワーをもらって、また復活することができました。前からずっと思っているけれど、私の中身って本当にすっからかん。熱量を持った人に出会って話を伺ってみて初めて、力をいただくことができるなと改めて感じるんです。これが「生かされている」ということなんですね。

この志布志しぶしぶ通信も、しぶしぶ感を楽しく記録してきたのですが、取材を重ねていくうちに、不思議としぶしぶポイントが分からなくなってきました。よそ者の視点から見て面白いというポイントを見つけるセンスというのは、根無し草であってこそ、なんて考えると、いつまでたってもマージナルな部分に立ってないといけないわけです。そのバランス感覚を保つというのは非常に難しい。

「この場所に慣れきってしまうことへの恐怖」。新鮮なカルチャーショックを失う恐怖。普通そんなこと考えないと思いますが、職業病なのでしょうね。そんな葛藤のような気持ちが生まれたのが、この半年の大きな心境の変化でした。

そんなこんなで、お気楽に始めた当通信執筆の筆は、後半では鈍ってしまいました。新鮮な視点を持ち続けながら、地元に根付くって実はすごく難しいことなのかもしれない。しかし今年は、もっと地元に溶け込みたいと思うようになってきました。あくまきもさつまあげも常食。鹿児島弁もマスター域に。もっと地元と関わりたい。そんな希望のような、方向性のようなの提示です。

皮肉にも、この地を知ることで自らの故郷に帰りたくなる。故郷のために、何かしたくなる。とても、とても。

これからも志布志のわたくしの妄想にお付き合いいただけたら嬉しいです。